“サンペン”の恐怖
下記必読なのでよろしくお願いします。
本日のブログはタイトル通り、私が体験した
“サンペン”の恐怖
について書きたいと思いマッスル。
まぁまず、
#サンペンとは
ってなりますよね。
サンペンは、朝鮮学校での校章(?)をさします。私は小学校までしか通っていないので実際にはサンペンを身に着けたことがないんですが…。あれって中学校から身につけるのかな?
そこら辺無知で申し訳ナス…
と思っていたら、
サンペンについて書いてある記事をめっけたゼ!!!
やっぱり中高級学校が身につけるものナノネー。
兄や姉が持っていたから私はサンペンの存在を知っていたのである。
まぁこのデザインよ。
かっこいいよね。
ペンが3つ だから サンペン なんだよね!?(適当)
いや、上のサイトみてみたら
サンペンの3には「三千里錦繍江山、三千万朝鮮民族、三角形などさまざまな意味を込めた」って書いてありましたわ。
横道それるんだけど、これスーゴイさ、
慶應の校章に似てるよねw
慶應はペンが2つ。
そして
引用:はてなブログアプリのアップデート文が可愛かったので紹介するよ!やったー! – Singer Song iPhone
hatenaはペンが1つ。
HAHAHAHA
まぁサンペンについてはこのくらいで。
~ここからが本題~
なぜ私が「恐怖」を感じたのかってところですよね。
お話します。
しつこいくらい書いてますが、
私は幼稚園から小学校まで朝鮮学校。
そして中学校からは日本学校に通い始めたじゃないですか。
で、高校も大学も日本学校に行ったわけで。
とくに、高校受験は私にとって忘れられない記憶なんですよね(いい意味で)。高校受験を意識し始めた中2の秋、私には志望校なんてなかったんですよ。
☆都心で校則ゆるい高校☆
↑
この条件さえ満たしていればどこでも良かったw
髪染めたいし制服可愛いの着たいし、という浅はかな理由。
で も 中 2 の 冬
校長先生と仲良かった私は、進路の相談を校長にしていたわけ。
校長「志望校どこ?」
私「都心で校則ゆるければどこでもいいでつ☆」
校長「フフフ(^ω^)」
私「ハァ~ン(・ω・)?」
校長「じゃあ都立国際に行きなさい。場所も都心にありますし、校則もゆるいですよ。校風もあなたに合うと思います」
私「おk」
帰宅した私、早速都立国際高校をググりました。
そして発狂しました。
(国際学科)偏差値67!!??!?!???!?!?!?!?
(バカロレア学科は71だそうです)
無理やん?
え、普通に頭悪い私が一般入試とかまず無理やん?
えー?校長バカー?
えー?はー?ないわー。まじかー。
いや、人によって偏差値に抱く壁ってそれぞれ違うと思うんですけど、私にとってははちゃめちゃに高く感じたわけですよ。
で
諦めようと思ったんですけど。
都立国際について調べれば調べるほど
楽しそうすぎるこの学校…
行きたい…
ってなってしまってですね。
英語が好きで異文化交流に興味があった私は大興奮したのです。
そこからすぐに塾の先生に相談して、私の受験戦争が始まるわけでありますのよ。偏差値が普通OF普通だった私は、一般入試ではなく推薦入試でキメる☆と決めていました。
お家の事情で私立併願校を受けられなかった私は一般入試に失敗したら中卒大臣になるので、その事態は避けたく一般入試は確実に受かる高校を受けると決めていたのです。
なので
受験を決意した日からは、とにかく内申をあげること、資格をとること、表彰されること、小論文の練習すること(当時の国際の推薦入試は面接と小論文)に専念しまくりました。
高校の学校説明会には(なぜか)フル参加しましたね。
2~3回くらいだったかな~?
2回目くらいの説明会で、言語別の学校案内に参加したんですよ。国際高校にはいろんなバックグラウンドを持った人が集まるから、日本語、英語だけでなく、中国語での案内や、朝鮮語での案内もあったんですよね。
私は興味本位で朝鮮語の学校案内に乗り込んだわけです。
そして出会ったわけです。
サンペンマークが刻まれたバックを持つた学生たちに(=朝鮮学校の人)
ファッ―――(゚∀゚)―――――!?
そう、朝鮮学校出身の人が学校説明会に何人かいたんですよ。
いやいや、自分でいろんなバックグラウンドを持った人が集まる高校って言ってたやん。朝鮮学校の人だっていて当たり前やん。そもそもお前朝鮮学校出身やん。って突っ込みたくなった人もいると思います。私も突っ込みたいです。
でもね
あの頃は本当にびっくりしたんだよね。
少し極端な意見になりますが、当時の私は、
時代や地域によって色々と違いはあると思うんですけど
朝鮮学校→日本学校に行く
って本当にスゲー決断だと思ってたんです。
私は先生に止められたし、姉だって止められてました。
なかには応援してくれる先生もいましたが。
その反対を押し切ってでも行きたい人が行くところ。
それが日本学校。
だから日本学校に進学した在日朝鮮人には、
それなりの決意や、特別な意思があるはずだ!…と。
朝鮮学校の人たち
=
同胞で固まって、外の世界に出たがらない
そんなイメージでいっぱいでした。
そう思い込んでいた私だったからこそ、
都立国際高校で朝鮮学校出身の人を見た時、死ぬほどびっくりしたんです。
私以外にも日本学校に進学する人がいるんだなぁと。
いやwwww
私、何様すぎるwwwwwwwwwwww
だって、、私の学校には日本学校に行く人が誰もいなかったから、、、
私を異端児扱いしてきたから。(激怒)
校長室に呼ばれて「これ以上日本学校行くってことを周りに公言するな」って言われたからね。(激怒)
↑
これマジ。
で、高校受験は無事成功して、入学できた私。(超端折ったw)
通知表は体育4で、それ意外は全部5だったんだよ!!!☆★☆★☆
体育…平泳ぎしか泳げなかったんで…
はい。
入学後、朝鮮学校出身者の友達と仲良くなってから「なんで日本学校に来たのか」を聞いてみたんですよ。
すると、
「中学の先輩が国際高校行って楽しそうだったから」
「友達が国際受けてたから」
「朝鮮学校は好きだけど、ここにいる意味を見いだせなかったから」
「日本学校に行ってみたかったから」
などなど。
本当に理由は人それぞれ。たくさんありました。
中には先生に反対された、という人も居ました。
なるほどナ!!!
ここで初めて、在日朝鮮人の多様な在り方を知ったというか。
なんとなく自分の中にあったモヤモヤがなくなった気がしたわけです。それと少しの安心感。「私だけじゃないんだな」っていう。
朝鮮学校に対して偏見を抱いたまま日本学校に行ってしまった私にとっては、
めちゃくちゃ貴重な経験になったなと思いますね。
そのなかでも、朝鮮学校出身のアンちゃんとは
部活が一緒で今でも連絡を取り合う仲!今月も会うよウフフ
その子に一度、私の朝鮮学校の体験談を話したことがあって。そしたら
「いやwwそれは厳しすぎwwwww
そんな先生うちには居なかったwwww
そりゃ厳しい人もいたけど、みんなすごく優しくてクラスも仲良かったよww」
的なことを言われて、
めちゃくちゃ衝撃受けた記憶がありますw
やっぱりうちの学校は、やばかった…。
ということが改めてわかりましたね。
だって、吹奏楽部は冬に学校の屋上で
「近隣から苦情の電話が来るまで吹き続けろ」
と言われ練習させられたらしいですからね。(兄談)
ホルン担当だった兄は、唇が乾燥してマウスピースが血だらけになったらしいwwww
それと同時に、
アンちゃんはいいな~と思いました。
朝鮮学校で「楽しい!」って思える思い出がたくさんあって純粋に羨ましくなった。朝鮮学校での日々はイイ経験だったし、もちろん友達との楽しい思い出もたくさんあるけど、よくない記憶のほうが強く焼きついているというか…。
私が捻くれすぎていただけか?いやいや…。まず朝鮮学校に通っていて“違和感”を抱かないわけがないんだよな。そこで私は“日本学校へ行く”という選択をしただけであって…。
強要しようなんてこれっぽっちも思ってないけど、私みたいな朝鮮学校出身者もいるってことを見逃さないで欲しいってのはあるなw在日の人にも、在日以外の人にも。みんながみんな、母校愛で溢れてるわけじゃないし、同胞愛があるわけじゃない。抜け出したい人だっているんですよ。まぁ勝手にしてくれよ!って結論に至りますがwだから勝手にブログを書いているわけでwウェイw
…なんか最後、まとまりない感じになってしまったな。すんまめん。
嗚呼…
季節の変わり目で身体がボロボロ…
咳止まらないし…
皆様も気をつけてネ…
またお会いしましょう!
スィーユーネクストターイム!(セイキン風)